文明社会の野蛮人
先月28日のシンポジウム(→理系.info: シンポジウム:若者に電気の夢を)で理系白書の元村さんがすごく印象的なことを言われていたので、紹介したいと思う。
「文明社会の野蛮人」と聞いて皆さん何を思い浮かべるだろうか。決して現代の未開の地に住んでいる人たちを指していっているのではなく、まさに我々のことを指していっている言葉だ。つまりは、科学技術が発展し、人工物がブラックボックス化してしまい、その人工物がなぜその機能を発揮しているのかに全く興味を示さなくなっている我々は、「科学技術を科学技術と認識できない文明社会の野蛮人」なのだ。
分かりやすく言うと、家に帰り壁のスイッチを押すと電気がつき、リモコンのボタンを押せばテレビを見ることができる。そして、パソコンのキーボードの「A」を押せば、画面に「あ」と表示され、それをメールで送ることができる。この当たり前のことは当たり前ではなく(神がもとから作っていた訳ではなく)そこには科学技術があり、理由があるのだということを我々現代人は気にしなくなっているという警鐘だ。
科学技術がもたらす進歩に対する順応性は高い反面、その中身に対する関心は薄く、まるで神が作ったかのように受け入れてしまう。こんな世の中で、科学に対する興味は薄れて当然なのではないだろうか。
元村さんたちパネリストは、そこには大人の影響が大きいということを指摘されていた。僕もまさしくその通りだと思う。社会全体が人工物に対してどんなメカニズムでなぜ動くかに関心を持たず、ただ便利で動きさえすれば良いという風潮になっている気がする。そして、それは確実に子どもに伝播する。
昔は機械にネジがついていれば、とりあえず分解していたけれど、今はそんなことはまずしない。構造が精密・複雑になったからというのは言い訳。科学の本質である「なぜ」を忘れているだと反省させられた。
ちなみに、オルテガというスペインの哲学者がこの「文明社会の野蛮人」を提唱したのは1930年代、日本が科学技術立国論を謳い出したのも1980年代。少しずつでもかわらなきゃ。
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